到達目標と講座概要
昭和21年、GHQの指示に基づき、公娼制度に関する一切の法令が廃止され、我が国の公娼制度は数百年に及ぶ歴史に一応の終止符を打った。しかし、その後は「自由意志に基づく売春」という建て付けで黙認、再編成され、「準公娼制度」と呼ぶに相応しいほど公然と営まれる娼街、すなわち赤線として『売春防止法』昭和33年に罰則規定を伴って施行されるまで、延命されることになる。
戦後の世相について言及されるとき、赤線はときに〝戦後の徒花〟とシンボリックに言い表され、引き合いに出される。吉行淳之介『原色の街』(昭和26年)、溝口健二監督『赤線地帯』(昭和31年)をはじめとして、昭和20年代から30年代前半にかけて各界のクリエイターが赤線をモチーフとして取り上げ、戦後のアート・カルチャー史を彩ってきたことは事実である。ためか、赤線と俗称された娼街は、あたかも戦後期のどこかで突如として創設されたものと人口に膾炙している。が、今回取り上げる東京都の事例は、実際には戦中のさなかに再編され、創設されている。
加えて、アカデミアが記す学術書・研究書においても「日本政府がGHQによる公娼廃止の裏をかいて赤線がつくられた」「RAAが赤線に移行した」といったような誤った言説が散見される。
いまだ克服できずにいる赤線成立史のアップデートを図る。
東京都を事例に、GHQ(GHQ/AFPAC,GHQ/SCAP)、日本政府、売春業者の三者の思惑が収斂した帰結としての赤線について、その変遷を説明する。